2008年8月11日月曜日

我らは皆イブの林檎を食べた 麻田奈美


1973年の春だったか、あの日、本屋で発売したばかりの『平凡パンチ』をあんなにもドキドキしながら家へ持ち帰ったことはそれまで経験したことがなかった。早く一人になりたかった。一人になってページを開き思うままに想像の世界に浸りたかった。
なぜならば、その何週間か前の号で初掲載された一人の少女のヌードグラビアが、いきなり大反響を呼んで多くの問い合わせが殺到し、この日発売された号には表紙から巻頭グラビアをその少女の大特集で飾るという触れ込みだったからだ。私も例外なく彼女の裸身に魅了されていた。

少女の名は麻田奈美。17歳。八重歯が光るあどけない童顔に不釣合いな豊満な裸身、それは眩しいまでに健康な輝かしい生命を謳歌しているかのようだった。
撮影は青柳陽一、特に中面に見開きで綴じられた全身正面のピンナップ。立ちポーズで真っ赤な林檎ひとつで局部を隠しもの憂い表情でカメラを見つめるショットには見るものすべてを虜にしてやまないオーラを発していて、性の目覚めを迎えたばかりの少年たちを完全に隷属させてしまった。その神々しい姿はあたかも禁断の林檎を差し出す旧約聖書のイブのような存在に思えたものである。その後、ポスターとして発売され同世代の男の子の部屋には決って貼られていたという時代を象徴するヌードとして語り継がれることになるのであった。

ただ彼女へ思いを募らせる多くの少年たちと違って、私およびわが母校の生徒たちにとってはもっと格別な存在なのである。なんといったってついこの間までわれわれの教室の片隅で、クヌギ林の校庭で、行き帰りの通学路で、あの輝かしい若い性を制服の中に押し込め、確かに彼女はそこに実在したからである。一学年上の彼女は掲載時はすでに卒業を控えた春休みに入っていたので、もうその姿を学校で見ることはかなわなかったのだが、本名であるHR先輩のヌードということでなまじ本人を知っているだけに(といっても一方的だったが)生々しく、妄想を膨らませるのに十分だった。そういう意味では単に“ぼくらのオナペット”などという雑誌のコピーは空々しく感じるほど現実的なことであったのだ。

私らは早速バスケット部のN先輩(彼女も所属していた)になんとか紹介してくれとわたりをつけてもらうべく頼み込んだが、シャイだったNさんは“クラスも違うし、大体そんなに親しくなかったしそんなこと言えねえよ”と言うものの、彼のマジソンのバッグに『平凡パンチ』が巻かれて差し込まれていたのを見逃しはしなかった。1級下のわれわれでもこんなに胸ときめくのに、ましてや同じ学年や同じクラスの男の子にとって見れば、想いはいかばかりであったろうか。実は誰々と付き合っていた、実はオレとなどという風評も絶えなかったが定かではない。

彼女はその後、裸の女神として多くの雑誌のグラビアを飾り、その掲載号は100万部を売り切るものも多かった。多くの同世代のアダムたちが彼女の禁断の林檎を口にしたのである。一躍アイドルと成りCMに出たりレコードも吹き込んだり(「おそい夏」日本コロムビア)していたが、彼女も少女期を脱し大人になるにつれ一段と豊満さを増したことを理由に突然表舞台から消えていった。

そしてあの衝撃的だった春から長い歳月が流れた。最近団塊世代の企画が多く出るようになり、彼女の名が時代を代表する思い出のアイドルとして再び見かけるようになった。青柳陽一のヌード写真集も何度か復活出版されたりしているが、あのときのままのあどけない笑顔と瑞々しいボディは不滅の光を放っている。
最近、マスコミで働く高校のOB会の仕事を手伝うようになったが、一級上の先輩S氏が当時彼女と同級生だったことが判明し、当時の思い出話を聞いたりしていたが、最近クラス会で初めて彼女が出席したそうである。
“で、どんな風になっていましたか?”
と、思わず尋ねたが、
“うん、まあね。幸せそうだったけどね…”
という先輩の口に物が挟まったような答えに、ちょっと質問したことを後悔した。

フィルムに焼き付けられた1973年の春のあの輝かしい青春は、記憶の中で色褪せるなんてことはないからだ。それだけでいいのだ。

麻田奈美
1954年東京都江戸川区出身。都立武蔵丘高校卒業時に、母親が娘の若く美しい姿を記録として残したいということで写真家の青柳陽一に撮影を依頼。これが雑誌のグラビアデビューのきっかけとなり『平凡パンチ』(平凡出版 現マガジンハウス)に掲載されるや一躍評判となり、以下『平凡パンチ』、『GORO』(小学館)等でグラビアアイドルとして一世を風靡する。活動5年で引退。
主な出版物
『麻田奈美・青春の記録』(青柳陽一 1977年平凡出版)
『APPLE 1972-1977 麻田奈美写真集』(青柳陽一 2000年アスペクト)
『APPLE2 麻田奈美写真集』(青柳陽一 2001年アスペクト)
『林檎 ANOTHR APPLE 麻田奈美写真集』(青柳陽一 2004年講談社)
主なCM 
本田技研工業
ヤシカ

*写真はCD「dankaiパンチ~東京に吹く風 昭和40年代フォーク」(VICL-62653)

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